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エッセイ:17年が過ぎた 幼年期の終わりに。

糸井さんの「たった20年で、この小箱が。」を読むと、

スマホは単なる便利な端末ではなく、かつて旅に持ち歩いていた

本、音楽、カメラ、財布、手紙、電話、映画館までを、

ひとつの小箱に圧縮した"文明の思い描いていた夢"なのだということがわかる。


この20年弱の変化には、ひとつ象徴的な節目がある。2008年6月9日、

サンフランシスコの Moscone Centerで発表されたiPhone3Gだ。

スマホはここで携帯電話の延長から、通信・アプリ・同期を前提にした

「世界への窓」へと一段進んだ。


ただ、夢そのものはもっと古い。

1970年代、アラン・ケイが描いたダイナブック構想は、

読む・書く・学ぶ・作るを一台に収めた持ち運べる知的メディアを夢見ていたし、

ユビキタスの思想は、コンピュータが生活に溶け込む未来を描いていた。

そしてクラウドという技術が、スマホを端末単体ではなく、

サーバーの「向こう」に広がる巨大な「世界への入口」に変えた。


だからこそ、いま世の中に起きているのは「スマホ離れ」というより、

情報と通知に囲まれ続けた末のスマホ疲れなのだと思う。

必要なのは道具を捨てることではなく、過剰接続から一度離れ、

注意力を回復するための小さな「切断」――

最近言われている、アテンション・デトックスなのだろうと思うし、


逆説的に言えば、糸井さんの仰っている「離乳」とは、

人類が夢から覚めて 次のステップに進むために必要な

ひとつの「幼年期」の終わりのようなものなのだと思う。



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